平成25年11月27日 衆議院 外務委員会

[030]
民主党(民進党) 長島昭久
断固として対応していただきたいということでございます。

その上で、今、外務大臣がおっしゃった、断固として対応する、そしてそういうことが起こらないように努力をしていくという御答弁は、私も多としたいと思いますが、事はそんなに単純ではないということは、竹島の60年前の状況を思い起こせば実は明らかであります。

この点、もう60年前のことですから、この中で生まれておられる方もそんなにいないと思うんですが、60年前、52年の1月に李承晩ラインの設定が行われ、私が調べたところによると、54年、2年後の6月17日に、韓国は、沿岸警備隊の駐留部隊を竹島に派遣したというふうに発表するわけです。

派遣をしたと発表するまでの間に、実は竹島は、韓国の警察、官憲を中心とした人々によって占拠されることになったわけでありまして、李承晩ラインが設定されてから、言ってみれば、気がついたときにはもう竹島が占拠されていて、日本政府としては手も足も出なくなってしまったというそのプロセスについて、外務省から簡潔に当時の経緯というものを説明していただけますか。

[031]
政府参考人(外務省大臣官房審議官) 柳秀直
お答えいたします。

先生御指摘のとおり、1952年1月に、当時の李承晩韓国大統領は、いわゆる李承晩ラインを国際法に反して一方的に設定して、そのラインの中に竹島を取り込みました。

その後、1953年の7月、竹島周辺で不法漁業に従事している韓国漁民に対し、これに立ち退くように要求した我が方の海上保安庁巡視船が、韓国漁民を援護していた韓国官憲によって銃撃されるという事件が起きております。

その後、先生御指摘のとおり、1954年の6月に、韓国は、韓国沿岸警備隊を竹島に派遣したことを発表しております。

そして、同年8月には、竹島周辺を航行中の海上保安庁巡視船に対し、同島から銃撃を行ったということでございます。

その後、韓国側がずっと竹島の不法占拠を続けているという状況でございます。

[032]
民主党(民進党) 長島昭久
改めてお伺いしたいんですけれども、竹島を韓国が不法占拠する過程で武力攻撃は行われましたか。

[033]
政府参考人(外務省大臣官房審議官) 柳秀直
お答えいたします。

ただいま申し上げましたように、その当時起きたことは、先方の官憲による銃撃が中心でございまして、これを武力攻撃という定義で申し上げるかどうか、私にもちょっとよくわかりませんけれども、韓国軍がいわゆる大規模な攻撃を行ったということではございません。

[034]
民主党(民進党) 長島昭久
韓国軍が大規模な攻撃を行ったわけではない。そういう事態に対して、日本は自衛権を行使することはできたんでしょうか。仮に、例えば別の場所でこれから行われた場合は、自衛権を行使する対象になるんでしょうか。

[035]
政府参考人(外務省国際法局長) 石井正文
お答え申し上げます。

仮定の話でもございますし、しばらく前の話でもございますので、確定的に申し上げるのはなかなか難しいと思いますが、一般論で申し上げますと、その事態が武力攻撃に当たるかどうかということは、どういう人が入っているか、どういう主体が行っているか、どういう手段を用いているか、どういう規模であるかというふうなものを、個別具体的、それを全体として判断する必要があると思いますので、個別個別の判断だと思います。したがって、李承晩ラインが引かれたときに起こったことが、今、武力攻撃かどうかということを判断するのはなかなか難しい状況でございます。

ただ、一つ申し上げられますのは、武力攻撃かどうかということについてだけ一般論で申し上げれば、軍隊でなければ武力攻撃にならないということ(※ではないということ)は事実でございます。主体だけではなくて、ほかのものも含めて考える必要があるということでございます。

[036]
民主党(民進党) 長島昭久
軍隊でなければ武力攻撃を構成するものではないというお答えだというふうに認識をしました。

(石井政府参考人「ではない」と呼ぶ)

軍隊でなければ武力攻撃に当たらないというわけではない、そういう御理解でしょうか。

[037]
政府参考人(外務省国際法局長) 石井正文
不明確な答弁で失礼をいたしました。

軍隊でなければ武力攻撃にならないということではないということでございます。

[038]
民主党(民進党) 長島昭久
二重否定だったわけですね。わかりました。

そうしますと、もちろん形態によるということであるわけですが、逆に言うと、こういった形での他国の領土への不法侵入、不法占拠というものがすべからく武力攻撃を構成するものでもないと言えるんでしょうか。

[039]
政府参考人(外務省国際法局長) 石井正文
繰り返しで恐縮でございますが、個別個別の事例で、具体的ないろいろな要素を考慮して検討すべきものでございますので、もちろん、その意味では、全てが武力攻撃だというふうに申し上げるつもりはございません。

[040]
民主党(民進党) 長島昭久
ですから、必ずこれが武力攻撃であると認定することはなかなか難しいんですね、そのときそのときの形態にもよる、こういうことでありますから。

そうしますと、まさに当時の政府の答弁を見ると、こういうのがあるんですね。

武力攻撃というのはまさに侵略ということだと思いますが、政府は、侵略とは、相当の地域、しかも、竹島のような無人島ではなく、都市や工場のあるところである。侵略に対しては安全保障条約なり相互援助条約なりの適用の問題が発生するが、竹島等においてたとえ不幸にして撃ち合いが起こっても、直ちにこれをもって侵略であるとして条約の援用をするという段階までには相当の距離がある。

こういう政府の答弁があるぐらい、実はかなり複雑な様相を呈していた。

しかし、結論を言うと、1954年の半ばぐらいの段階で振り返ってみると、この竹島の状況というのは、完全に韓国によって占拠されてしまった、こういうことであります。